ボールドは神である。および駄文。
これは、2015年、Splatoon Advent Calendar
Splatoon Advent Calendar 2015 - Adventar
の記事である。
ボールドが柔軟剤では無く、神であるという合意を得た。
ボールド
— はなだのぶかず@へたくそボールド&竹使い (@nobkz) October 31, 2015
ボールドは神であることを主張したわけだが、あとは駄文である。
いや、最近は、竹にもいいなぁ。とか思うのである。
以下は駄文である。
いままでやってきたPCゲームとしてのFPSとTPSのゲーム性の違い
さて、SplatoonはTPS(三人称視点のシューティングゲーム)であるわけだが、僕はもともとFPSのゲームを少々やっていた。その他のFPSを比較しつつ、FPSとTPSのゲーム性の違いについて語って行きたいとおもう。
僕のゲーム遍歴
だいたい、小学生の頃、「ゴールデンアイ」が始めてのFPSであった。しかし、僕はニンテンドー64を持ってなく、友人宅で、ロケットランチャーをぶっぱなししていた記憶がある。
僕が結構やったのは、中学高校の間であり、据え置き機のゲームでは無く、PCのFPSゲームである。僕が一番最初にハマったFPSはHalf Lifeであり、また、Counter Strike 1.6も大分遊んだ。そして、ゲームヤロウ時代のサドンアタック、ペーパーマンをやってきた記憶がある。
どのぐらいやっていたか?と言われたら、それなりに生活を崩さずやっていた程度である。結構やってた頃は、平日は大体1時間2時間程度であり、生活に支障が出ない範囲でやってきた。
そして、大学に入って、1年生まではやってきたが、プログラミングにハマリ、パッタリ辞めたといった経緯がある。
やってきたFPSとTPSとしてのSplatoonの違い
さて、はじめてTPSをやったのだが、いくつか戸惑いがあったことを覚えている。
クリアリング
まずは、3人称視点でのクリアリングに戸惑う、ということである。特に壁際でのクリアリングである。
一般に大抵のFPSというのは、「相手が見えている」=「相手から打たれる所に居る」ということが多いのである。かなり距離が離れている、防弾ガラスでない限り、「見えている」ということは、相手の弾が届くという位置にあるのであり、その次点で、敵を倒すなり、隠れるなり、逃げるなり、何らかの対策を取らないといけなくなる。
とすれば、たとえば、一般のFPSで壁に身を潜むときには、向こう側にいる敵が全く見てないのである。だから、「音」から位置を把握したり、マップを把握したり、仲間の索敵に頼る、ということをやり、「目に見えない敵」を把握する。
Splatoonで全然違うなと思ったのが、物陰に隠れながら、物陰の向こう側の敵が見えるということである。壁に潜りながら、カメラを回して、向こう側の敵が、見えるのである。最初、それに気が付かないで、よく裏を取られたりしたものだが、気がついたときに、意識したりすると、クリアリングのポイントが理解できたり、逆に利用できたりして、戦績が上がったものだ。
また、クリアリングと言えば、Splatoonは、より密接に関係するのが「塗り」である。
「塗り」と「音」
やはり、Splatoonのゲーム性として、他のFPSと一線を画すのが、「塗り」である。「塗り」をしっかりするというのは、相手の動きを阻み、自分を動きやすくするものであるが、また、「クリアリング」という点においても重要であると言っておくべきだろう。
一般に、僕がやってきたFPSゲームで重要なってくるのは、「音」である。発砲音から、位置を把握し、戦況を把握するのである。つまり、トリガーを引く=「相手の位置を教える」ということであり、やたらと発砲すると、銃弾を消費するだけでなく、相手に情報を教えることになり、不利になる。
逆にSplatoonは、むしろ、「やたらと発砲する」ゲームであり、比較的にトリガーパッピーであるゲームだと言える。とにかく「塗る」ということが大事である。他のFPSを比べ射程が制限されていることが多い、インクが回復するなど、とにかく発砲するゲームと言える。
「音」の重要性は、比較してSplatoonはあまり無いように思われる。それよりも、塗るべきである。ただし、後衛をしている時は、裏取りなどに注意するため、後ろからやってくる音については注意するべきだろう。案外、音を聞いてないプレイヤーが多いように思われる。
僕のオレオレSplatoon理論
さて、さらに駄文として、オレオレ理論を紹介しよう。特にボールドの立ち回りのことを中心に書くが。 僕の理論は、「なんとなくこういうのあるよね?」みたいなことを、概念にしているので、ある意味経験則からちょっと考えたものである。
不利距離、有利距離、無理距離、安全距離、
Splatoonは基本的に正直なところ、Aim力よりも、どのようにして有利な位置取りをするか?というゲームだと僕は考えている。その位置取りで、重要なのが相手との距離である。というか、僕は基本的にわかば、ボールドという射程が短いブキを使うという点で、距離に関しては敏感になっているだけかもしれないが。
距離に関して僕は4つの分類をしている。
- 不利距離
相手に弾が当たりなんとか倒せる距離だが、相手のブキの方がキルタイムが短かいなど、自分が不利な距離。相手のAimなどの関係により、そのまま倒すか、逃げるかどちらかととるべきであろう。
- 有利距離
不利距離とは逆の状況。この場合、有利なので、状況を保ちつつ、倒されるリスクもあるため、油断は禁物である。
- 無理距離
相手に弾が当たらなく、逆に相手の弾が当たる距離。倒されない立ち回りはこの距離で逃げるべきだが、積極的に攻めの状況で塗りが十分ならば、有利距離に思い切って進んでも良い。
- 安全距離
無理距離の逆。この場合は全体を見渡せる余裕もあるので、Aimしつつ、周りの確認がしたい距離である。
ボールドと距離。
ボールドマーカーに安全距離は存在しない。無理距離は沢山ある。しかし、有利距離の状況を作って行きやすく、それを如何にして有利な状況に持って行くか? ということを凄く考えるブキである。
そう、ボールドは距離に関して、かなり不利なブキである。しかし、上記の距離というのは、あくまでも「正面衝突」したときの距離であり、いくつか重要な点について伸べる。それは、足場塗り、ポジショニング、裏取り、横取り、キルタイムと確殺である。これらは、また、オレオレ理論であり、Splatoonユーザの一般的見解では無いことには再度注意しておく。
足場塗り
まず、距離理論で言えば、射程が長いブキが有利であるように見えるがそうでは無い。第一にその理由として、「足場の塗りやすさ」が違うということである。
Splatoonのブキは一般的に飛距離が長いブキほど、足場が塗りにくい傾向にある。飛距離が長いブキは大抵は連射が遅いなどにより、短距離ブキと比べて、足場を塗って進軍する能力の劣っている。
ボールドはその点で、かなり優秀である。敵のインクに足を取られても、直ぐに足元を塗ってしまえば復帰できる。僕はあんまり、ボールドで安全靴を使わないのだが、理由として、実際には、敵インクから復帰するまでそこまでかからない、というのが理由としてある。
さて、足場塗りの概念を知っておくと有用なのが、味方のサポートの点で有用である。たとえば、チャージャーなどの足場が塗りにくいブキが味方にいる時は、その味方の立ち回る進路で塗りにくいところなど塗っておくということによって、その味方が足場を塗りで手間が省け、その結果、味方の立ち回りを良くすることができる。
また、逆に足場が塗りやすいブキで味方が固まったとするならば、できるだけ、前線を押し上げることを考えて置いた方が良いだろう。単純に位置が前に出るだけで、自陣の塗りの範囲が前進し、前線を上げることに繋るのである。
ポジショニング
さて、距離や足場の塗りに関することを書いて行った。さらにオレオレ理論の上塗りをしていく。
武器によって、マップの中で、「ここの場所だと、安定してキルが取れるなぁ」とか、「この場所、無理だわー」みたいな場所がある。いちばんわかりやすいのが、リッターやスプチャなどの武器が、毎回いそうな場所とかが、そうだろう。僕はあまり、リッター等のブキを使わないが、なんとなくあそこが、そのブキが有用な場所なんだろうなとか想像している。
チャージャー以外にも、「とりあえず、ここの場所とっておきたい」みたいなのがあるはずである。それをポジショニングと僕は呼んでいる。
さて、考えることは、ブキによって、ポジショニングする位置が違うということであり、じゃあどのようなブキがどのような場所にポジショニングするのか?と考えるべきだろう。また、普段、無意識にポジショニングしているところを見直したり、新しいポジショニングを考えても良い。
また、「自分が有利になるポイント」は基本的に考えやすいが、「相手が不利になるポイント」を考えてみよう。僕は普段から、休憩がてら、さんぽをするが、「ここいいならぁ」「ここにいるの嫌だなぁ」とかそのことを考えてさんぽをする。そうすると、良いところは普段から塗っておいて、悪いところに敢えて塗り残しておき、敵が来るのを待つなどして、有利な状況に持って行くことができる。
ビーコン位置に注意したい。
相手のポジショニングを意識すると、敵や見方の動き、いる場所などを、意識して参考にすることができる。「このブキはこのような位置にいる」ということが分かれば、敵や見方の動きを先読みできるようになるかもしれなし、より立ち回りを理論付けることができる。
クリアリング
一般のFPSでもよくある概念であり、周囲に的がいないか?を確認することをクリアリングと言う。基本的に、どのFPSでもクリアリングは、壁の裏など、進行方向とは死角になりそうなところに敵がいないか?の確認の行動などのこと。
Splatoonにおいては、基本的に色を塗ることで、クリアリングを行なうことができます。敵のインクを塗らずに敢えて踏み進むなど考えられず、まず、しっかり塗られたところでは、敵がいないと考えて良さそうである。
さて、ここで先程、効率的にクリアリングを行なうために、「ポジショニング」の概念が有効となっていく。自分が「そこに居たい」と陣取る場所こそ、クリアリングするコツである。また、敵の数や、音などによって、クリアリングを効率的に行なうことができる。1人倒して、他の場所で敵が3人たたかっているのであれば、敵がいないと推測できるなど。
また、安全にクリアリングするには、3人称カメラを上手く意識して、自分が安全な位置であるところから、敵の位置が不明確なところを、意識して、カメラを回すのも良い。
また、敵のビーコンを確認する。という点もクリアリングのついでに確認しておきたい。たまに、ローラーが、ビーコンを前線近くに置き、一旦リスボーンに退避して、またビーコン地点に戻るなどの戦法もあったりすると、やはりビーコンなどにも注意した。
強い人の動画を参考にしてみよう。クリアリングは上手い人ほど、やっているものである。
ライン
さて、普段、前線や、防衛のラインなどを意識してプレーしているだろうか? 僕は、そういったバトル中におきる、境界のことを、まとめてラインと呼ぶ。
前線
Splatoonだけで無く、他のFPSでもそうだと思うが、一般には、前線を押し上げることは非常に重要である。前線を上げることによって、ナワバリはもちろん、エリア、ガチホコ、ヤグラなど、どのルールでもゲームを有利に展開することができる。
さて、とは言うものの「前線」とは一体なんなのだろうか? とすればSplatoonは明快だと思う。「塗り」だ。基本的に自分のインクを敵陣に、相手のインクを敵陣へ。そうすれば、前線は目に見える形で、「インク」の境界として見えるのである。
防衛ライン
さて、前線というのは連続的では無く、「区切り」があるように思う。どういうことかと言えば、前線が進む時は、ある程度進むところで、一旦前線が止まるポイントがある。それを僕は、防衛ラインと呼ぶ。Splatoonはその防衛ラインを越えるか越えないかのゲームである。
防衛ラインはどのようなポイントにあるかといえば、ステージによることろが大きい。おそらく多くの人は、ステージをいくつかに区切って把握しているはずだ。たとえば、ヒラメだと自陣中央高台、敵陣中央高台、自陣低地など、それなりに区切りがあるはずだ。防衛ラインというのは、つまりどの地点で、戦うことが多いかということを把握するということである。
最重要防衛ライン
さて、防衛ラインの概念を紹介したが、防衛ラインの中でもとりわけ重要なポイントがある。それは、ヤグラやホコなど、ルールによって異なるが、「この地点まで、ホコが運ばれたら、負ける」とか「この地点まで、ヤグラが突破されたら負ける」とかそいういうポイントである。それを僕は最重要な防衛ラインと見ている。
さて、ステージをやるまえにこの点をまず、確認しておきたい。これを意識して応用すると、立ち回りの考え方がしっかりしてくるだろう。
ラインというのはまだまだ、いくつか概念があるが、ここに書くほど有用であるかと言えばそうでは無いとは思う。
裏取り
さて、これもFPSによくある立ち回りであり、「前線」の裏を取ることである。一般にFPSにおいて「裏取り」されるのは、クリアリングの穴があるからだと僕は思うので、クリアリングをしっかりすることによって、裏取りがされにくくなる。
裏取りをする方であれば、前線にいる味方の数を一時的に減らることになり、前線を不利状態にする。なので、前線が有利かあるいは、交戦が激しくなる前から裏取りを意識すると良いだろう。
味方が、目立つ行動を取ることによって敵の目を引くことがあるので、裏取りというのは、実はチームプレーが重要だったりする。なので、全体を冷静に把握して、裏取りを行なうべきである。
横取り
ボールドマーカーの使いなら、インクを潜って相手に近づき、「横を取って」相手を倒すみたいなことをするだろう。相手の正面を取ると、基本的に打ち負けることが多い。なので、敵の射線の横に位置取り、相手が気付いて自分にAIMするまでの間に、被弾リスクが少なく戦う。そうしたことを僕は「横取り」と呼んでいる。
また、横取りをしやすいための、ポジショニングも含めて「横取り」と呼んでいる。たとえば、ハコフグ倉庫や、アロワナの右の細道など、から攻めたりすると相手の、前線の進路の右から攻める形になるので、結果として相手の横から叩きやすくなる。
立ち回りの基本的な考え方。
さて、SplatoonのみならずFPSの強さは、Aimだけでなく、実は「立ち回り」が非常に重要であると僕は考えている。強ければ強い人ほど、実はAimの力では無く、立ち回りの考え方がしっかりしているように思う。むしろ、立ち回りがしっかりしているからこそ、有利な場所から安定した、Aimができるのである。
ここで、ではどのように僕が立ち回りを組み立ててるかを紹介しよう。
目標を決める
まずは、立ち回りをするにあたって、「目標」を決めることが先ず大事だと僕は考えている。たとえば「敵の最重要防衛ラインを越える」など、そうしたものを意識するべきだと考える。それがあるからこそ、じゃあそのためにはどうすか?という考えができ、立ち回りの基礎ができるのである。
敵と味方の動きを予測する
敵と味方の動きを予め予測することが次に立ち回るにあたって重要だと考える。敵や味方の動きがなんとなく把握できると、自分が取るべき行動が自ずと見えてくる。その「予測」の精度は、経験を詰めば上がるが、実はそれを意識しないと上がらないものだと僕は思う。予測ができるようになると、今度は置きAimや、ボムを投げておくなど、立ち回りの幅が増えるのである。
「倒し重視」か「倒されない重視」かを考える
「倒されても良い時」や「倒すべき時」とかなど、を予め考えると良いだろう。特に「倒されるべきでは無い時」を意識すると良いだろう。
「考える」と「考えない」
結構僕はFPSをプレイする時はすごく考えてプレーしているが、そうすると考えることに集中してプレーに集中していない時がある。だから、考えに煮詰ったときは、思い切ってプレーした方が良い。
「AIMや反射神経は素質」だが、「立ち回りは努力」
AIMというのはある程度まで、伸ばすことはできるが、ある程度まで行くと急に伸び悩むことが多い。Splatoonだけの話では無く、他のFPSでもその現象はあるように思う。
AIMというのは、最後にはコントローラの操作の上達では無く、反射神経によってAIM力が決まることが多い。一時期、僕がFPSerだったころは、AIMを鍛えるために、反射神経ゲームをひたすらやったものだ。一般の人間の反射神経というのは、大体0.2秒ぐらいかかる。しかしそれを鍛えると、大体、0.15~0.11秒ぐらいまで、行くことができる。
ただ、その反射神経ってのは、センスが良い人と悪い人がいて、素質があることが多いのだ。
一方、立ち回りというのは、戦略であり、動き方であり、判断である。戦略は考えれば良くすることができる、動き方は沢山経験すれば良くなる、判断力どれだけ状況把握して冷静でいられるか?だと僕は思う。
だから、AIM力を鍛えるよりも、一定のAIM力が身に付いたら、立ち回りをやはり意識することが重要に思う。強いプレイヤーでもAIMが良くない人もたくさんいる。そりゃあ、AIMをバンバン当てたい気持ちもあるけど、いくらAIMが良くても、芋だったり、味方を無視して敵をkillするだけというのは、やはり良くない。
以上が駄文だ。
他にも、ボールドについて、竹について、3D酔い対策、などいろいろあるが つかれたので、もうここでやめにする。
「UX Fukuoka勉強会 2015 #01 観察のしかたを学ぼう」を開催、運営した話。
またまた、久し振りに記事を書く。
9/19日に、「UX Fukuoka勉強会 2015 #01 観察のしかたを学ぼう」
というものを開催したので、ブログに記す。
計画、準備から開催まで
UX Fukuokaは、現在メンバーで言えば、研究会メンバーが居て、定期的にUXに関する学びを得ている。ただ、UX Fukuokaとして、やはり僕等と一緒に毎回、学びをしてくれる人を増やしたくて、UX初心者勉強会を 開催しようということは前々から言い合っていた。
そして、また、UXに関することを教えることで、教える側も、さらなる学びもあるだろうということ、また、 UX Japan Forum (http://www.uxjapan.org/)の、準備も着々とやっていた兼ね合いで、8月末あたりにUX初心者会をやろうということになった。
計画や準備
どのようなワークショップにするか相談
まず、どのようなワークショップにするかを相談した。ペルソナ/シナリオ法か、オブザベーションなど案が挙がっていた。DMMのワークショップにUX Fukuokaのメンバーが参加したとき、UXのワークッショップを体験していない初心者と一緒にワークショップを行なったとき、「まずは観察のやりかたを教えないと」ということで、オブザベーションワークショップにすることになった。
また、簡単にUX Fukuokaのメンバー 3人が20分のHCDの概要やオブザベーションの講義を行ない、そのあとに、ワークショップを行なうという流れになった。
わりと、日程が急過ぎるかなと思ったが、人数を少なめにして、運営に負担が軽い人数にした。16名程度であれば、UX研究会のメンバー4人でなんとかなるだろうし、また、集客としても呼べるだろうということだった。
オブザベーションの対象の検討
そのあと、オブザベーションの対象をなににするか?を相談した。カップ焼きそばや、ゼリーなどは、浅野先生などのワークショップで既に開催されていたので、それでは無いものを探した。候補として以下のようなものが挙がっていた。
- 手巻きずし(コンビニの)
- おにぎり
- コンビニのざるそば(冷し中華)、麺類
- 缶詰
- 納豆
- ココアやお茶などの粉入れるやつ
- ホットコーヒードリップ、ティーパック
- 液体歯磨き
- 万年筆のインク瓶
- AppleのACアダプター
- フリスク
それぞれの候補を試しにやってみて、評価した。そこそこの難しさや、「観察しがいがある」ようなものを選んだ。コーヒードリップを試したときに、みんな、粉を溢したり、「失敗」がそこそこ出てて、観察する時間も丁度いいだろうということで、ホットコーヒードリップを選んだ。
結構悩んだ。カップ焼きそば、やっぱり秀逸だなと思った。ホントに。
結果的に、被った。 第7回WebUX研究会 GMOメディアでエスノグラフィ・ワークショップ | 経験デザイン研究所
くっそ!!!!!!!!。なんか悔しい!!
開催した。
会場設営や準備
13時開始だが、10時位に会場を開けて、資料の準備や会場設営、机やイス、モニターを調整したりした。昼御飯は、てんやの天丼弁当だった。また、お湯を分かすポットや電気ケトルの準備などをした。あと、コーヒードリップを購入したりした。
また、参加者のチーム分けを事前アンケートを元に決めた。
講義
さて、13時になり、まず始めに、HCDの概要を僕がなんとか理解していることを20分できるだけ話した。そして、残りのUX Fukuokaのメンバー2人がそれぞれ各20分ぐらいで、オブザベーションやエスノグラフィーや、今回のワークショップについて講義した。あと、各講義は、ヨシカワさんのフォローが入った。
反省点はいろいろあった。やっぱり教えるのは、難しい。自分の言葉で、説明することをできるだけ心掛けた。でもやっぱり難しいなと。
自分で、自分の講義の写真は取れんw
ワークショップ開始。
さて、チームは4名、4人で、4つできた。それぞれワークショップを開始した。 UX Fukuokaのメンバーはそれぞれ見回りながら、ワークショップをフォローして行った。
見回りに手を後ろに組むのは、なぜだろうか?
チームで役割を決め、観察開始。 観察は3回程度やった。
思考発話させたが、説明口調になっていたりしてたりなどしていた。ちょっと気になるところを指摘したりした。
付箋で分析、9コマシナリオ
付箋で観察した内容を分析して行く。そして、9コマシナリオでまとめる。
都合の良いユーザを設定したりしていた。ペルソナ/シナリオ法を教えてないので、まだまだ気付けないところではあるだろう。
ビアバッシュ、ピザの注文、お酒の準備
そうしながら,ピザの注文や、お酒の準備をした。お酒はコンビニで書った。ピザはホークス優勝セールで安かった。結構バタバタした。
発表、講評
ピザが届きながら。ワークショップでは発表し、そのあと講評した。褒めながら、Disった。
ビアバッシュ
乾杯!!! しゃしんはない。参加から、質問を受けたり。
二次会
もちろんある。しゃしんはない。おさけおいしかった。
まとめ
いろいろ、学んだ。そして疲れた。
UX Japan Forum
ちょっと記事に出てきたので紹介しておきます。ぜひ参加ください。
UXデザインワークショップに参加してきた
ひさしぶりの更新。
UXデザインワークショップに参加してきた。
先週の土日、DMM.comさん主催の、UXワークショップに参加したので、レポートしておきまつ。 2日間で、UXの多くの事を学べる良いワークショップだった。
一日目
10分遅刻。
普通に遅刻。すいません。反省。DMMの方の登壇を聞き逃した。
講義
DMMの方の登壇のあとは、浅野先生の講義でした。 いつもの講義でした。資料がバージョンアップしていた。
ペルソナ決めて、バリューシナリオ
まずはバリューシナリオを書いた。
最初から、既に、3人のペルソナが用意されてて、各チームで好きなペルソナを選ぶ。それして、これまた既に、ビジネス情報が用意されていたので、ペルソナの本質欲求と、ビジネス提供価値から、バリューシナリオを考え、シーンを考える。
時間をきっちり決めて、付箋で、意見を書いて、貼りながらみんなで考えた。
ペルソナを自分達で用意していない分、楽ではあったが、逆にバリューを考えるのが難しかったように思った。
アクティビティシナリオ
例の如く。バリューで、アクティビティシナリオを書く。 今回の、反省として「ディープ」なという単語を使ったのは良くないなと思った。時間が無いとは言え安直だったなと。外国人にとっての 「ディープ」さと、日本人にとっての「ディープ」さは違う。
UXフロー
そのあと、UXフローを書く。インタラクションシナリオやらストーリーボードは時間が無いのですっとばす。
あとで、DMMの人に聞いたが、業務でもインタラクションシナリオはすっとばすことはあるらしい。 というか、僕も本当はインタラクションシナリオは時間が無いのですっとばして、UXフローを書いたりしてたのでやはりそうかと思った。
「ツリー構造は開発者がうれしいだけ。ユーザはうれしくない」
ワイヤーフレーム
UXフローをはさみでちょっきん、繋ぎ合わせて画面遷移図。
Prottでに取り込む
Prottに取り込んで、スマフォで操作。
いやぁ、べんり。ただ、その時、若干のトラブルがあった。外部ツールをワークショップで使うときは気を付けよう。
飲み。
明日がある中。飲んだ。例のモツ鍋屋さん。写真は無い。
2日目。
アクティングアウトやらのワークショップ。これは珍しい。良い学習ができた。
講義
講義。アクティングアウト、オズ魔法使いとか、体験のスケッチとか。
サービスサファリ
打ち合わせ
みんなで、打ち合わせした。祇園に行くことにした。
サービスサファリスタート
サービスサファリをスタートした。アクティビティシナリオに従って、1日目に作ったプロトタイプを持っていって、現場で使ってみる。すごくいろいろ分かる。
僕は前回、エスノグラフィーワークショップを受けてたので、とりあえず、いろいろやり方を教えながら、やって行った。予めアプリの店の情報などを、Google Mapとかで調べて決めた。
ディープな体験がしたいアメリカ人(僕達が選んだペルソナ)は、僕達のアプリを使えばのような店に行けるらしい(笑)。
分析
帰ってきて、問題点を付箋で貼り付け、アプリを改善する。いろいろ問題点が分かったのでいろいろ修正した。
「店が締まってたら、嫌だよねぇ」とか「ずっとアプリ見てるよね?」とかそういったものを貼り出して、改善した。
アクティングアウトの準備
改善がまとまったら、シーンを決めて、アクティングアウトの準備。今回は時間が無いので、改善はその時シーンに関係するところだけを限定して決めた。
アクティングアウト、講評
アクティングアウト。寸劇をして、オーディエンスにアドバイスを貰う。 「Disるときはまず褒めて、麻酔注射してから。」
終了、表彰、ビアバッシュ
終了した。とりあえず、いろいろ終わってほっとした。 表彰。2000円のDMMのカード。いいなー。
ビアバッシュ。 参加した人、学生、デザイナー、エンジニア、DMMの人、いろいろな人としゃべって、あんなことやこんなことを聞いて、あんなことやこんなことをしゃべった。
懇親会
飲んだ。
まとめ、感想。
2日で「え?これだけやんの? マジかよ! 」って思ったが、「案外やれるものだなぁ」と思った。想像してたよりも、思ったより大変じゃなかった。いや、疲れたんだけど。
とりあえず、これからも学習を続けよう。
告知。
とりあえず、UXF 初心者勉強会やります。9/19日、Groovenauts コミュニティスペース。イベントページできたら更新する。
RE:プログラミングの「抽象化」ってどういう意味で、なぜ必要なのか
さて、nobkzです。UX Fukuokaの活動ばかり書いてましたが。 久し振りにポエム書きます。
今回は、
nekogata.hatenablog.com と bugrammer.hateblo.jp
に関してのアンサーブログです。
nopが「世界一の抽象化だ」の納得と違和感
さて、「何も書かないことが世界一の抽象化だ」という論理について納得する一方違和感を感じ、考えてみたことを述べていきたいと思います。
まずは納得する面から。
抽象と捨象
個人的には、「抽象」という言葉は、ソフトウェアの世界に限らず、一般的用語だと思います。ここで、適当に辞書を取ってきて意味を見てみると
《名・ス他》多くの物や事柄や具体的な概念から、それらの範囲の全部に共通な属性を抜き出し、これを一般的な概念としてとらえること。
とあります。抽象というのは、「全部に共通は属性を抜き出す」ということが含まれています。その、「抜き出す」という行為の裏には、「共通してないものを捨て去る」ということがあり、それで「捨象」という言葉が、「抽象」と同義語としてあります。
《名・ス他》(概念を抽象する作用の反面として)現象の特性・共通性以外を問題とせず、考えのうちから捨て去ること。
捨て去ると何もなくなる。
さて、一理あるなと思う点は、この抽象という行為の中に「捨て去る」というこういがあるからです。なるほど、そりゃあ、全部捨ててしまえば、何もなくなるのはその通りだなと、いうことです。
また、集合論的に言えば、「空集合はすべての部分集合である」ということを言っていると、似ている感じにもなり、その点で、通じるものがあるということです。他にも、ゼロの概念とか、「空」の概念とか、東洋思想的な感覚になります(笑)。
違和感
上記の点で、一理あるなと思う反面、おかしいなと思うことがあります。その点を書いていきます。
抽象したものがない
まず、抽象した結果が、「なにもない」ということです。これは、果たして「抽象した」と言えるでしょうか? ある意味、「抜き出すものが無い」=「抜き出してない」とも考えられ、それは「抽象したものではない」とも言えそうです。
ここらへん、Russell's paradoxを思い出します。ただ、 ここらへん深く書いていくと、型理論まで発展して泥沼になりそうなので、これ以上書きません。
抽象と構造
抽象としている場合基本的には、構造があります。 上記のnopの話は、「構造化されてない」という点で、抽象とは異なる言えそうです。
ここまでずっと、ソフトウェアに限定しない、話をしてきましたが、「抽象」と「構造」もソフトウェアだけのものではありません。
エスノグラフィーや心理学などの、質的、定性的データを使う分野では、「ラダーアップ、ラダーダウン」という質的データの構造化分析手法がありまして、ラダーアップは、「事象」から「抽象概念」までの構造化、ラダーダウンは「抽象概念」から「事象」までの構造化であります。また、KJ法(こっちの方が良く聞かれるかもしれないですね)なども構造化手法の一つでしょう。
なにが言いたいかというと、そうした、「構造」なくして、「抽象」はありえないのではないか?ということで、そこが違和感の一端になっているということです。
ソフトウェアの「抽象」
さて、全般的な文脈から語ってましたが、ソフトウェアのコンテキストを考えて、抽象を考えてみましょう。
「良い」と「正しい」
まず、一点あるとすれば、「抽象」としては「正しい」けれども、「良い」ものでは無いという場合があるということです。 ソフトウェアで、抽象するときは、システムを作る上での、「抽象」する上での意義があるということです。
新しい意味付け、メタファー
個人的な意見としては、抽象化の先に、「良い意味付け」が基本的には、ソフトウェア的に「良い抽象化」では無いか?と思うことです。
システムを構築する上での、抽象化のした最後に待ってるのは、「名前付け」であり「意味付け」です。どう意味付けするかによって、ソフトウェアの「抽象化」の「良い、悪い」が出てきそうです。そして、「名前付け」というのは、つまり「良いメタファー」を作ることであり、その点に関して、みなさん苦心されているのかなと。
良いメタファーを作ることは、「使う側」にとって、「どのように使うのか?」というのかが、明確になり、その結果、適切な組織化が可能ということだと個人的には考えてます。
ある意味、これは表示的なもであり、良いインターフェースを設計することが「良い抽象」としての活動に含まれていそうです。そこに、「操作的」なものを入れてしまうと、無意味な抽象となってしまいそうです。
具体と新しい意味
さて、上記2つの記事において、いくつか、コードが出てきました。
def transfer_gold # user_1 から50G引いて user_1 = User.find(1) user_1.gold -= 50 user_1.save! # user_2に50G足す user_2 = User.find(2) user_2.gold += 50 user_2.save! end
さて、これが、元となるコードで、いくつか変更を加え、
def transfer_gold(amount, from_user_id, to_user_id) user_a = User.find(from_user_id) user_a.gold -= amount user_a.save! user_b = User.find(to_user_id) user_b.gold += amount user_b.save! end def pay_service_fee(customer_id, store_id) transfer_gold(50, customer_id, store_id) end
こうなってました。
さて、これを、僕の観点から、言えば、「抽象化」の他に「意味付け」を行なっているということであります。 1や2という数字の意味、、50という数字の意味は何か?そういうことを考えていたと思っています。
「悪い」抽象化というのは、その意味付けが良くないということです。もし変数名が、amountじゃなくて、単なるxだとしたら、それは良くない抽象でしょう。
nopのコードに関していえば、構造化、意味付けを行っていない点で、抽象というと「違和感」や飛躍した原因だと考えています。
まとめ
まとめますと、nopという抽象に関しては「捨てていく」と考えると、一理ありますが、しかし、構造になっていない点、意味が無い点で、抽象とは言えない要素があるということです。
まだ、言いたりないような気がしますが、ここまでにしておきます。
沖縄UXシンポジウム2015にいった話。
超絶久し振りに書く。 今回、沖縄UXシンポジウム2015に行った話。
CREATIVE ISLAND-Webを中心としたプロモーションの交流会・勉強会in沖縄
こういうレポートエントリは、「鮮度」が大事だと思うけど、なかなか書くタイミングが無かったので、今更ながらレポート。
沖縄UXシンポジウム2015にいった話。
LTの準備
今回は、LT大会があったので、僕も登壇に参加した。
いつもはエンジニアの勉強会で、発表やLTをするのですが、今回はUXということであり、まだ慣れてない状況でやるので早めにイベント告知されて、参加登録した時から、準備した。
結構いろいろ悩だかな。何を話すのか? 間違ってないだろうか? とか。そんで、話す内容が纏まらなくて、結構スライド作りが遅れた。もっといろいろ、スライドに手を入れようと思ったけど、できなかった。
前日。
さて、前日、金曜日の夜のPeachの飛行機に乗り、沖縄に行った。仕事を終えてから行くので、夜の便を予約した。
台風で飛行機が遅れに遅れたので、夜中の9時あたりに付く予定が、夜中12時を過ぎたあたりに到着した。それで、那覇の国際道路までタクシーで行き、ソーキそばを何故か食べた。
量が多かった。そのあと、泡盛をどこかで飲んだ。写真は取ってない。
んで、カプセルホテルに行って寝た。
なんか個室だった。
当日
朝は、なんとなく朝食のモーニングが出てた。なので、食べた。量が多い。
んで、なんとなく電車(モノレール)に載って、なんとなくバスに載って、会場に向かった。
モノレールの切符。QRコード。沖縄のキップは、機械に通すのでは無く、タッチしてぴっとする。
改札を出るときは、キップ回収Boxがある。
そんで、会場の建物に到着した。
UX沖縄シンポジウム
さて、UX沖縄の会場に付いたとき、コーヒーをのみながら、LTのモニターテストとかしながら、開始を待った。すると白鳥さんが、開始の挨拶をして、始まった。
伝わる仕組みとサービスデザイン (坂田さん)
最初は、UX Tokyoの坂田さんのお話。 内容とか、感想は他の人が纒めている( サービスは恋するようにつくるべし/「UXシンポジウム沖縄2015」坂田一倫 )ので、詳しくはそちらに。
良い話でした。自分なりの言葉にすることが大事だなと。それと、恋がしたい。
LT大会
僕を含めてUX Fukuokaから2名、UX Hiroshimaの方が1名、それと沖縄の人達5名の、LT大会。 10分という時間はLTにしては少し長めな感じだったけれども、なかなか面白かった。
なんとなくだけど、全体的に、インターフェースに関する話題が多かった気がする。
僕は、エンジニアとしての視点として、また、これまでのUX Fukuokaで活動による学習からの、エンジニアに対して、何か言えることを話した。
そのあと、浅野先生に褒められました。嬉しかったです。今後とも精進します。
あと、いろんな書籍からの寄せ集めでは無く、自分で考え、実践して行ったものを、また言葉に置き直すことは大事だと思った。書籍を読んだだけでは理解したことにならない。実践して実感し、ひたすら振り替えり、自分の言葉に置き直すことは大事だな。と思った。
浅野先生の話。
いつもの講義。スライドがバージョンアップしているのが面白かった。
その時、少し考えたのは、ビッグデータを利用してビジネスをやる話。エンジニアは「データ」を使いたがり、ユーザが見えなくなっているのでは?と、最近良く思うので。
「データ」を使ったビジネスは、何故、「売上が上がるか分からない」という発言を良く耳する。そこのところを良く考えなければと思った。
シナリオ法のワークショップの時は、僕はアドバイスする側に周るということだった。教えることも学習の一貫と思ってたけれども、あんまり教えられなかった。
みんな、黙々と書いていた。思ったのは、とりあえず、初めてなのもあるだろうが、なんとかく、「自分のシナリオ」を書いていて、「ペルソナのシナリオ」を案外、書けてないなと思った。シナリオを書くのは、難しい。
懇親会
流石沖縄。オリオンビール。
いろんな人としゃべって分ったのが、来た人は、案外、東京などから引っ越してきた人が多かった。もともと、沖縄の地元の人が少なかった。
二次会以降
ビアバッシュも終わり、そのあと、二次会
カキ食べた。
飲んだ。まさかの3次会。
ネコと、戯れながら帰った。
翌日
とりあえず、那覇市内の商店街をブラブラした。
ラジオ体操していた。沖縄方言(ウチナーグチ)でラジオ体操していた。歌詞分からん。
こんな感じの曲。
飲んだ。
みんなのほんだな。
帰り
帰りは、モノレールに乗った。
帰りもピーチ航空。安い。
最後に。
いろいろ、新しい学びができて良かった。今後とも、ユーザの事を見て、考え、調査して設計して、評価して、行きたい。
こういう、外部との交流は、知識の偏りに気付くときもあり、重要だと思った。また、積極的に外部のコミュニティの活動にも参加してみようと思う。
UX Fukuoka 研究会 Vol.1をやってきた。
今回は、写真はない。
今回から、UX Fukuokaインタビュー研究会から、改め、UX Fukuoka Vol.1の研究会をやってきた。 名前を変更した理由は、最早インタビューの研究してないからだ。
ただ、名前を変更した言うても、前回の続きを今回はしただけである。今回は、ストーリーボードを作成した。
UX Fukuoka研究会
さて、今回は、人数を待っている間、雑談をした。今後のUX Fukuoka周りの活動をどうするか?とかそんなん。 もっと、実践的な活動を目指したいですね。
復習
そして、最初に、まず、前回の復習をした。前回はUX総会をやっていたので、実質、前々回の画面遷移図を作成してから、1ヶ月くらい時間がたっている。これぐらい立つと、復習に時間がかかる。毎週よくやれたものだなと思った。
さて、前回の復習、ふりかえりをした後、というか、前回やったことを思い出すと、今回やるべきことが見えてくる。
ストーリボード
さて、今回は、ストーリーボードを作成した。いろいろ、簡易ストーリーボードや、UXフロー、画面遷移図や、アクティビティシナリオを参照しながら作った。
ストーリーボードを作成するとき、絵や写真を張るのだが、その絵はできるだけ、画面を眺めるようなことにはならないように注意する。また、シナリオを書くときは、勿論「インターフェース用語」を使わないである。これが、毎度ながらちょっと考えるのだ。
さて、ストーリーボードを作ったのだが、なんだかんだ、いろいろあって、みんな、4枚のストーリーボードに収まった。みんなのストーリーボードが重複するかなと思ったら、案外しなかった。んー、良いのだろうか?
次回
さて、次回は、ワイヤーフレームを作って行く。
若者は捉えられない
若者は捉えられないものになっている。
最近、よく思うのが若者の周期が早くなってきているということだ。「若者」というのは、たぶん1年もすれば、全然違う文化になる。
また、若者自体も、多様化していて、ある若者集団と、他の若者集団の乖離が激しくなっているとは思っていると思う。
その結果、「若者」というのが、凄く捉えられないものだと思うのだ。そのことについて、いろいろ書く、まぁ、思いついたことを適当にパラグラフにしているだけだら読みにくいとは思うが、悪しからず。
「今の若者は~」の違和感
「若者はだらしがない」というのは、普遍的に言われてきたことだが、ただ、その「若者」というのが、若者をどこか捉え切れてないような感覚になるのだ。すっごく局所的な一部分を言っているように感じる。
たとえば、「今の若者は、○○を知らない」とか言う発言があると、とある学生が「私、19だけど、○○を知っているし、使ったことあるよ」とかいうコメントが散見される。また、どっかの講師みたいな人が「今の若い人は、勉強しない!」とか言うと、また別の講師が「嫌、今の若者は勉強するよ」とか言う。どちらも、ある程度、当たっていて、ある程度当ってないのだ。
それはなぜか?と考えると、若者が凄く多様化していて、捉えようもないものになっているこうことだ。「若者」という限定をするとどこか絶対に的が外れた集団が存在するのだ。
「今の若者はビートルズを知らない」という違和感
今の音楽専門学校の学生は「今の若者はビートルズを知らない」ということを以前どこかの世間話で聞いた。けれども僕は凄い強烈な違和感を感じたのだ。僕はなんだかんだ音楽に近い集団に居たので、「ビートルズを知らない」という人は、ほとんど聞いたことが無かった。
むしろ、凄い洋楽に精通した「若者」も沢山いる。彼らは、いろいろ洋楽についてググり、また、洋楽のお店に出向き、レコードを書い漁ったりする人も結構いた。そして、「ブライアン・エプスタインは偉い」とか言うのだ。
モノ知りな若者
そういえば、若者っていうのが、なにか凄いモノ知りになっているような気がするのだ。「wikipediaより一時ソース」とか「インターネットは信憑性が薄い」とか言いながら、おっさん達やおばさん達が、インターネットを使わない間に、若者が散々インターネットを使い倒し、なにか凄くモノ知りになってるという状況になっているのだ。
ただ、これは一部の「若者」だけというのに注意したい。けれども、テレビを見続けているおっさん達よりかは、インターネットを使い倒している若者はよりモノを知っている。そして、激しい世代間格差を生み出している。価値観が全然違う。
モノ知りじゃない若者
一方、モノ知りじゃない若者も存在する。そもそも、「パソコン」や「スマートフォン」を持てない若者だ。彼等は様々な理由で、ある意味従来的な価値観を持っている。そして、「モノ知りな若者」との話がどこか全く噛み合わない。そして、若者同士の議論が初まるのだ。
グループが違えば、若者は全然違う。
「モノ知り同士」でも話が全然噛み合わないことが良くある。SNSやtwitterに属しているグループが違うと、「若者」は全く違う「若者」になる。そのグループでは価値観を共有し、また、その中で彼らなりに交流を深め、情報を交換したりするのだが、そのインターネット上の集団が違えば、その「若者」の考え方も全然違うものになる。
メディアの違い
この話をまとめてみると、「メディア」が異なるってことだと思う。つまり、あるグループの若者集団と、別のグループの若者集団の、「メディア」の存在が全然違うのだ。従来は、ある意味、テレビやラジオ、雑誌などの、マスメディアの役割によって、その世代の価値観を共有することができたが、今や、その若者個人が属する集団によって、「メディア」が全くことなったものになるということだ。
若者の周期が早くなっている。
ところで、最近、若者の文化の周期がどんどん高速になって来ている気がする。1年もすれば、全然違う文化ができあがる印象がある。
デバイスやソフトウェアの変化
デバイスやソフトウェアの変化が凄く早いと最近思う。最近スマートフォンやらが出てきたり、また2ちゃんねるや、Mixiや、twitterやfacebook、Lineなどいろいろなものが出てきたり、また、音楽に関しても、古くはウォークマンから、iPod、iPhoneのYoutubeになったりいろいろ変化している。
とすると、「若者」も変化する。たとえば、初めて合う人間で、「連絡先交換」といえば、昔は赤外線とかで、emailや電話番号を交換していたのだが、それが、「facebookの友達申請」に変化し、今や「LINEのID教えて」である。
僕は今、26才で、普通にパーソナルコンピュータを使い倒していて、当然のように、リテラシーがあるのだが、そのすぐ下の世代は、スマフォ世代で、パソコンが使えないということも思い出す。
メディアの変化
メディアから教授するエンターテインメントが全く違う。flash動画や、youtubeや、nikoniko動画などはあんまり長期化しないし、見ているものが全然違う。
常識の変化
そのおかげで、「若者の常識」の変化のスピードが早いとは思っている。つまり少し上の世代のコミュニケーションの形式が異なってくるため、上下の交流が無く、その結果、共有している常識が1つ異なれば、全然異なってしまうという自体がコミュニティによっては起きている。
若者は「常識」を共有しない。
常識がほとんど無くなっている気がする。いや、集団やグループやコミュニティでは「常識」を共有しているのだ。その集団や世代の中で、メディアが異なり、共有する価値観や、若者のありさまが全然違ったものになるのだ。
結局のところ、「今の若者は~」というのは、上の世代の凄く狭い「若者の常識」でしか無いということである。「若者」に対する、視野が狭いというかね。