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「当たり前なことをやればいいのに、なぜ勉強するのか?」ということについて

久し振りになにかポエムでも書きたくなったのですね。コミュニケーション苦手な人ががんばって書いた。

「当たり前なことやるのに、なぜ勉強するの?」

フロントエンドエンジニアの会の方々を会話したときに、UXの本で教科書的なの無いと言われてとりあえず、「UXの教科書」を勧めた。

その時にその人に「UXの人と話して、当たり前なことをやればいいって言う時があるけど、自分は当たり前なことをやっているから特に勉強しなくても良いよね?」云々という発言をされたとき、ある気づきを得たので、ちょっと「なぜ勉強するのか?」について、僕の意見を述べておこうと思う。以下はUX関連を想定していいるが、別に他の領域でも当てはまることだと思う。ちなみにその人には「その件、ブログでまとめるから読め」と言った。

日々、何かを勉強し、実践していくと「良く考えると、これ当たり前なことだな」って思うことが多い。そういう気付きを得たとき、まわりの人達に共有して、「当たり前のことだなと思う」とか言うことが多い。そして、僕は何かUXに関する会話のとき、ときどき初学者に対して「当たり前のことをやれば良いんだよ」とか言う事も多い。

どうやら、そうすると初学者は「当たり前のことだから、あんなに沢山本を読んだり、ワークショップに行ったり『大変』なことしなくていいよね?」と思うらしいのだ。

「当たり前」の認識の違い

始め僕はどうしてそういう考えに至るのか、って良くわからなかった。しばらく考えていくうちに、他の人達と会話していくうちに、なるほど納得したと思うようになった。

まず、第一に「当たり前のことがちゃんとできている」って考えがあるってことだ。それには「当たり前」を「普段、普通に、日常的にやっていること」と解釈しているような気がする。だから、「普段やっていることをやればいいので、自分はやれている」と思ってしまうのだ。また、「当たり前」というのを「普通でまともな人が共有していること」と思っている場合もある。この場合も、「自分も普通の人で、まともな人」であるという意識があって、だから、自分も共有しているはずで、その通りやっている、みたいな考えを持っているように思える。

こういう考えに立ってしまうと、なるほど、わざわざ小難しいUXの本を読む必要も無いし、日々勉強すること自体が意味を成さないように思えてしまうのであろう。

また、「勉強する」その目的は、「自分達の知らない、何か真新しいもの。劇的に何かが変わるもの、改善するものを知る。身につける」である認識があるように思える。しかし、「当然のこと、当たり前な」と言ってしまうと、期待したものが得られない、ということにもなってしまうだろう。そもそも、勉強して分かる素晴しいものの殆どのことは泥臭くやって見つけることで、スマートには見つからない。

一方、僕は無意識に「誰が考えてもそうなること」を「当たり前」と言っていた。その前提として、「本質をつかむ」ということがあると思う。つまり、「本質を知ると、当然そうなるよね。」ということだと思う。逆に本質が分からないと、「当たり前の事が理解できない」ということである。

何かを勉強する、何かを学ぶことによって、なにか本質的なことを掴んだとき、凄く新しい発見や事実、概念、アイディアなどをその真新しさを感じることのように思える。その時は、その新しさを感じながら、どんどんと真髄を究めたいと思う。しかし、とある地点から、「ん?これ当然のことじゃね?」と思うようになってくる。そうして、「新しいこと」だと思えたものが「よく考えたら当たり前」ってなるんだ。

僕はそういった経験をたくさんしてきていて、最近考えるようになってきたのが、「学んで勉強して分かる本質的なこと」のほとんどが良く考えたら現実に合致している「当たり前」であるということだ。直感的でないような事実も、それは現実に起きている事実であって、本質的で、当たり前なことのように思える。「現実に起っていること」「本質的なこと」が「当然のこと」なのだ。

なぜ勉強するのか。

とすれば、「何故勉強するのか?」というのは「当たり前のことが分からない」し「当たり前のことができないから」ということだと考える。「いま自分にできない当たり前の何か?」を発見するということがまず勉強することの一つであるようにも思える。だたし、それは「当たり前にできるよう」になるってことじゃあなくて、その一歩手前の段階である。それだけではできないのである。

「当たり前のこと」をいきなりやることは難しい、「普段やること」とは違うからだ。

たとえば、ダンスをやっている人の時の話を聞いたことがある。ダンスの先生のカッコイイ動きを真似するためには普段と違うことをやらないといけない。普通じゃないのだ。しかし、初学者や下手な人達は、「自分がやりやすい動き」をする。そして、初学者や下手な人は「自分がやりやすい動き」をしたがるし、そのことに気づいていない。上手くなる人ってのは、その本質に気づく。「普段やらない動き」に挑戦するのだ。最初は失敗するものだし、しかしそのことによって「普段やらない動きが普段やる動き」になる。とダンスやっている人と飲んでて話しを聞いたことがある。

それで、「普段違う動きをする」ためにはまず、「当たり前」のことができないと認識することがまず大事なんじゃないかと思うのである。その為に勉強するのだ。

普段から現実に何が起っているのか?という関心を持ち、観察したり整理したり、思い込みを発見し、他人と議論し、自身を修正して行きながら、本質を掴んでいくものだと思う。本質的なことが見えてくると、それが「当たり前」になり、あとはそれをやるだけになる。「やるだけ」が難しい人が多いのだが。

以上が「当たり前なことやればいいのに、なぜ勉強するの?」ということについての回答である。「あの人」は参考になっただろうか?