「自分で自分の背中を押す」こと

今日も最近良く思うことをツラツラと書き連ねる。

恒に自分の日々何かをすること。

日々何かをすることが、生きるために重要なことかもしれない。「主体的に生きる」ということはそういうものだと最近思う。僕は、「何かをさせられる」ことは最近意外と楽な生き方だと思うようになってきた。

自我が芽生える思春期は、あんなに反攻していたことなのに(いや今のでそれは嫌なのだが)、あのとき憧れてたことも、実は辛いことだと言うことだ。いや、「辛い」というのは語弊があるかもしれない。けど、今の僕の少ない語彙力、表現力では端的に良い当てることができない。

「辛い」と体感的に感じるのでは無いのだ。どちらかといえば、「やりづらさ」というか、いつの間にか「やりづらさ」を背負うような場面が時々、たまにあるのだ

最近、それを乗り超えるためのことが分かった。創造的な仕事をやるには、「日々何かをやること」なのだ。

「魅力のある仕事」「やりがいのある仕事」だが「怠慢」

僕は、最近、モチベーションについて考える機会がある。最近とても集中できない日があるのだ。それは、とてもクリエイティブで、とても知的に刺激を与える、魅力的な仕事だ。しかし、それに手が付けられない日がある。

「人は本来的に怠慢である」と誰かが言ったことを思いだした。「人はサボタージュする。」それは、一般的には「仕事」というのが、本来的に魅力が無く、つまらなくて、つらくて、だるくて、きつい、ものだと思われるようなものを想定されていると思う。

しかし、たぶん、どんだけ魅力のある仕事でも「モチベーション」が出ない時があるのだ。そう「魅力のある仕事」「やりがいのある仕事」でも「サボタージュ」してしまう時があるのだ。「能動的にやろうとする仕事」とはその「サボタージュ」をなんとかしなければならない。

日々、「集中」すること

なぜ?そうなるのか?

魅力的な仕事というのは、本当に集中しないと行けない。没頭しないといけない、没頭しないといけない。いや、「魅力的な仕事」だから「没頭」できるとか、「集中」できるとか、「熱中」できるのだが、同時に、「没頭」「集中」「熱中」しなければならないのだ。

それには、ものすごくエネルギーが必要なのだ。長時間潜るとすれば、最初に沢山の息を吸うだろう。そのようなことが、魅力的な仕事、クリエイティブな仕事に必要なのだ。

時々それをやるのは、容易だ。だが、日々、そのような「吸い込み」というのは、案外、できないものかもしれない。 いや、基本的に僕が怠惰なだけなのかもしれない。

だが、うまく「仕事ができた日」に充実感が生まれるのだ。その充実を毎日のモノにしたい

自分で自分の背中を押す

どうすれば良いのだろうか?

なんとなく分かるのが、「自分で自分の背中を押す」ことなのだ。真にすばらしい仕事というのは、真にクリエイティビティというのは、そのようなことをかもしれない。

すごい人、仕事ができる人というのは小手先のテクニックとかでは無くて、「自分で自分の背中を押す」ことなのだ。

付箋に「今日やることを書く」「todolistを作る」「余計な『雑務』」と作るなどは、つまりそのようなことかもしれない。そのような事をやり、「深い集中」を得るリズムを作るのだ。

思えば、多くのサボタージュは「深い集中」をいきなり得ようとしたからでは無いか? と思うのだ。集中するには「助走」が必要なのだ。助走無しの集中は直に頓挫するであろう。

自分にとって「自分で自分の背中を押す」ことが、うまく生きるコツなのかもしれない。